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シリーズ「免疫毒性研究の若い力」3
アスベストと共に西へ西へ、そして免疫毒性学会への思い
西村泰光
(川崎医科大学 衛生学)

 私が免疫毒性学会に初めて参加したのは平成17年第12回免疫毒性学会でした。その折り、僭越にも年会賞を賜りました。思えばそこに至る間、アスベストと共に京都から西宮へ、そして倉敷へと、西へ西へ移って参りました。免疫毒性歴の浅い、また若輩者の私がこのような頁を拝借するのは甚だ恐縮ですが、この場を借りてその間のアスベストと私との歩みを紹介させて頂き、最後にその歩みの中で関わり始めた免疫毒性学会について新参者としての思いを述べさせて頂きたいと思います。
 京都大学大学院医学研究科で老化に伴う免疫機能低下について研究成果を著し学位を取得した後、私が赴いた先は何も分からない衛生学という世界でした。non-MDである自分にとって衛生学とは「衛生・不衛生」の衛生の二文字にしか見えなかったのです。平成14年10月、兵庫医科大学衛生学(現環境予防医学)助手に着任し、井口弘教授に師事しました。そしてこれに伴い西宮に居を構えました。このことは京都生まれ京都育ちの自分にとって、何より学問以前に一大事でした。西へ西への第一歩でした。当時、井口教授は、和田安彦助教授、西池珠子助手らと共に、ラットを用いた石綿気管内注入実験モデルを構築し塵肺発症機序解明を模索されておられました。特に「石綿曝露によるニトロソチオール産生について」が直近の課題でした。その中で、より免疫学的機能変化について調べて欲しい、というのが私に与えられた課題でした。当時は、まだ所謂「クボタショック(平成17年6月)」以前であり、私自身、アスベストと言われても「何を今更…」というのが正直な感想でした。石綿と言われても、ただの石ころのようにしか思えず、そんなものと生体との関わりを調べるなんて退屈極まりないと感じたのです。それでも、愚直なところが取り柄でもありますので、まずは始めてみることにしました。ラガーマンでならされた井口教授の手は無骨で大きく、所作は決してelegantではありませんでしたが、ネンブタール麻酔したラットの気管を手探りだけで見事に探し当て、石綿を気管内注入する様、経過後開腹開胸し気管支肺胞洗浄(BAL)する様は素直に感動しました。BALの際には、まず麻酔下でラットを開腹開胸し点滴針を心臓に刺しHBSSを注入、大動脈を切開すると肺が見事に白く灌流されました。頸部を開き気管切開、切開部より留置針外套を挿入、外側から気管と共にこれを縛る。心肺摘出後、外套にシリンジを連結し気管支肺胞洗浄(BAL)するとBAL fluidがきれいに回収出来ました。一連の作業は、気管内注入実験モデルでは良くあるものかも知れませんが、私にとっては何れも初めての経験であり十分に感動を与えるものでした。そして私は回収された肺胞マクロファージ(AM)の培養と機能解析を始めました。すると面白いことに石綿気管内注入を受けたラット由来のAMもin vitroで低濃度石綿曝露を受けたAMも同程度にTGF-β1を産生しました。つまり肺線維化誘導のkey moleculeであるTGF-β1産生にその他の細胞及び由来する因子が不要であることを意味し、上流因子であるTNF-αも産生するAMが石綿曝露下で自立的にTGF-β1を産生する事を示す結果でした。進めると、高濃度石綿曝露時の明瞭なアポトーシス誘導とは対照的に低濃度曝露時にはアポトーシスは誘導されずTGF-β1高産生型AMが誘導されていることが分かり、従来考えられていたアポトーシスを伴う高濃度石綿曝露後の慢性炎症とこれに続く肺線維化とは別に、アポトーシスを伴わない石綿曝露によるAM機能変化が低濃度曝露時に起きている可能性が明らかになりました。しかも、低濃度石綿曝露下培養によってAMから単独で他因子の介在なしに多核巨細胞が誘導されることも分かりました。このようにAM一つをとっても石綿が多様な現象を引き起こす事を理解したとき、私は退屈どころか何か自分の在るべき居場所を見つけたような、気が付けばそんな興奮の中にいました。
 そしてその間に自分自身へ大きな影響を与える重要な出来事がありました。平成15年4月日本産業衛生学会に初めて参加したときの事でした。当学会の内容は幅広く社会的でもあり、基礎系学会しか知らなかった自分にはやや退屈に写りました。当地で現所属長の川崎医科大学衛生学教授大槻剛巳先生の研究成果を拝見しました。申し上げるまでもなく大槻教授は植木絢子前教授の研究内容を更に発展させ石綿曝露の免疫機能への影響についてアクティブに研究されておられましたし、また研究内容は勿論、このような聡明な人がこの分野にもいるのだということ自体に感動を覚え、まだ「石綿」というmaterialに戸惑いを感じていたその頃の自分に多大な影響を与えました。この出会いをきっかけに大槻教授とのコミュニケーションが始まりました。翌年、井口教授の呼びかけで「折角、石綿の生体影響に関する仕事をしているのだから、研究交流会をしよう」ということになり、同年11月、川崎医大衛生学と兵庫医科大学環境予防医学および中皮腫研究の権威で在られる同学内科学呼吸器RCUの中野孝司教授らとの研究交流会が開かれました。その模様は川崎医大衛生学のHPに御座います。この交流会は、現在の大槻・中野を核とした研究プロジェクトの礎になる人の出会いとなりました。そして、井口教授が平成17年3月で退官ということもあり、私自身は同年4月より川崎医科大学衛生学に移る運びとなりました。2度目の西進でした。西へ、また西へ。そしてその後、上述のとおり、同年9月に免疫毒性学会に初参加、現在に至るとなります。
 現在では、大槻教授の下、ハード面ソフト面共に素晴らしい実験環境の中で、更に前田・村上両先生を加えて、束となりアスベスト曝露の免疫機能への影響について日夜研究を続けさせて頂いております。社会情勢も変わり、石綿曝露の生体影響が注目されるようになりました。こちらではヒトNK細胞への石綿曝露の影響について研究を積み重ね、最近ではNKT細胞に関する培養実験も始めています。CD8+T細胞も加えて、包括的にEffectorとしての抗腫瘍免疫機能への影響を探るということが現在の私自身の大きな意味での目標になります。
 このようにアスベストと共に西へ西へと歩む中、私自身の研究課題が明確になって参りました。その中で免疫毒性学会に関わるようになった訳ですが、最後に、免疫毒性研究への思い、免疫毒性学会への思いを述べさせて頂きたく存じます。免疫毒性の定義は、前号ImmunoTox letterで吉田武美先生が示された定義を拝借致しますと「医薬品はじめ生活環境中の各種化学物質が生体の免疫系の恒常性を乱し、免疫機能の異常亢進や抑制を引き起こすことによる有害な現象」となります。昨今の医薬品を含む化学物質の氾濫を鑑みるとき、この課題は極めて重要であると理解できますし、また、免疫担当細胞が“分子の目”を通じ外来分子を“認識”し、唯一DNAの遺伝子再構成という形で環境変化を“記憶”する細胞集団であることからも、生体影響の中でも免疫毒性を議論することの重要性が理解できます。従って、このような「化学物質の免疫機能への影響」に焦点を当てた本学会は、極めて重要な学術集会であると思いますし、そのような学会で活動できることを誠に光栄に存じます。微力かと存じますが、私自身も免疫毒性現象の理解・解明に尚一層取り組み、本学会の発展に努めて参りたいと思います。
 今後の本学会の益々の発展を願いまして、結びとさせて頂きます。
 
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