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免疫毒性学の課題
小野  宏
(食品薬品安全センター秦野研究所・研究顧問)

 Immunityは語源的には課税を免れる特権のこと(とすれば、免疫は免役であった)らしいが、われわれはもっぱら病原体の感染を免れる生体機能の意味で用いており、その機構に関連する生体反応全般を免疫学の領域としている(免疫の研究をしても、当然、税金は免除されない)。免疫毒性学は、化学物質の免疫機構に対する影響(とくに有害な影響)の学問ということになるが、その研究範囲はそれに止まらず、免疫機序を介する生体への(有害な)影響一般に及び、いまや免疫毒性学の課題は、薬物等各種化学物質の免疫機序を介する生体影響の種々相を解明することになっている。ただし、免疫学は元来病気の対策に関連して求められて発達した学問であるから、究極の目的は臨床医学への貢献にある、とわたしは思う。その意味で、臨床への関心を忘れないでいたい。

 Gerhard Zbinden(1992)*は毒性学の発展の歴史を展望し、主として製薬企業によって推し進められた個々の薬物についての同じ試験の繰返しで行われていた(いわば、日陰の)毒性の記述の時代(第1相)から、(「記述description」という言葉には「説明」と訳した方がいいことがあるので)毒性の機序解明の時代(第2相)へと発展し、大学等の研究者も参加するようになって研究が活性化し、毒性の種別分類などの学問の体系が整えられ、隆盛をみているが、これから(第3相)は個人に対する毒性予測の時代となる(ならなければならない)、と総括している。毒性の種別ごとの発展は、ものによって時間的な差がある。発癌性の研究が盛んだったのは、化学発癌の発見に対する社会的な関心が大きかったためであろう。遺伝毒性研究の興隆はBruce Amesによる変異原性試験の発明によるところが大きいと言えよう。研究の発展は社会的事件によって触発されて急激に起こることがある。最近の(と言っても、15年前に始まった)内分泌攪乱物質問題によって触発された内分泌毒性学の隆盛は目覚ましいものであるが、実は、この分野の研究自体は相当以前から進められていたものである。それが俄に注目を浴び、巨額の研究費の投入によって助成され、国際的な競争のうちに著しく発展してきたのである。

 免疫毒性学は、薬物安全性の見地からは早くから必要性が認められていたものの、試験法の限界から、いわば低迷していた。わが国では、免疫と言えばアレルギーと思われて、各種の感作性試験が試みられていたが、なかなか定法の確立に至らず、ガイドラインがなければ試験ができないという一部もっともな理由から、行政からの試験法の提示が待たれていた。1985年のOECD試験法ガイドラインでは、皮膚感作性に関しては7種類の試験法を列挙し、適当に選んで実施しなさいとする程度のものであった。それが、ICHの世界になると、免疫毒性は、自己免疫のような免疫機構の異常を誘発する化学物質の毒性を検査する方針とされた。感作性の検査は皮膚だけにしておけということになった。さらに、動物愛護の介入もあって、培養細胞で免疫反応を評価するような離れ業も行われるようになった。技術的に(そして経済的に)、可能なことからやるしかないというのは理解できるし、それが現実的というものであろうが、免疫機構の全身的ネットワークを考えるとき、免疫反応の個々の局面を再現する試験法の追及は際限のないreductionismに陥って行くのではないかと思われる。ここはreductionismでやるしかないと開き直った(やけのやんぱちの)行き方もあるだろう。事実、連続量である光や音を人間の感覚で識別不能とおぼしいレベルまでデジタル化した画像音声放送は、アナログ方式を駆逐するようである。

 In vitro試験の発展(と信頼)を支えているものは、その領域の学問技術の進歩である。しかし、これからの免疫毒性学には、免疫反応の全身性を忘れないことが求められる。そして、その個別性も考慮すべきである。Zbindenの描く毒性学展開の第3相は、免疫毒性においてとくに重要であろう。個々人の免疫反応性を測定した上での薬物治療を行うために、毒性試験法としてどのような方法があるか、今のところ甚だ心もとないが、課題として、それはあるのである。

 約40年前、地方病院で勤めていたとき、不思議な症例に出会った。高血圧の治療に用いていたα-メチルドーパ(アルドメット)という薬が原因で溶血性貧血を起こした症例である**。文献上は珍しいものではなく、当時欧米から累積で50例ほどの報告がなされていたが、なぜか日本ではそれまで1例もなく、この患者が本邦第1例だった。欧米の文献ではα-メチルドーパ使用によって、使用例の約20%(!)にCoombs試験陽性例が認められるということであった(薬物アレルギーの頻度は0.1%そこそこであることを思えば、感嘆符がつく。自己免疫異常の誘発頻度はもっと低いのではないか)。それは、α-メチルドーパ使用によって約20%の人に赤血球を標的とする自己免疫異常が起こり、一部は溶血性貧血に至る、という重大で興味深いことを意味していた。学会レベルでの研究者との連携の無かったわたしは、東北地方各地の病院に散らばっていた同級生たちに手紙を書いて、α-メチルドーパ長期使用例を探してCoombs試験を検査してもらった(健康保険組合がよく検査料支出を認めてくれたものである)が、集まった72例中Coombs試験陽性の例は皆無であった。しばらく後、香港の研究者から、東洋人ではCoombs陽性化は少ない、という調査報告があった。わたしの調査報告は、論文原稿を評価していただくため預けた他教室の専門家である教授が転職されたとき、その混乱に紛れて失われてしまった。

 α-メチルドーパによるCoombs陽性溶血性貧血では、抗体はRh-血液型特異性であるとされている。事実、わたしの経験した症例でもその赤血球から誘出した抗体はRhパネル血球と特異的に反応した。赤血球膜に組み込まれた血液型物質は自己寛容であるはずであるが、薬物に誘発されてなぜ不寛容になるのであろうか。α-メチルドーパによる溶血性貧血は投薬を中止すると、徐々にではあるが、改善する。Coombs試験も陰性化する。つまり、薬物依存的である。

 謎は謎のままであった。研究の材料がないこと(New Zealand Black mouseというモデルはあったが、いまだ成果が得られていない、また、日本では症例が極めて少ないし、α-メチルドーパは他の新薬に追われて、使われなくなったこと)が理由であるが、わたしもこの課題に傾注できなかった。自分はなぜ出来なかったのだろう、それは、努力が足りなかったことに他ならない。薬物誘発性自己免疫異常の研究は、まだまだ不満である。後進に期待するや切である。

* Zbinden G: Trends in Pharmacological Sciences. 1992, 13(6): 221-223.
**小野 宏、柴田 昭:最新医学.1973, 28(9): 1780-1786.
 
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