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英国での治験副作用事故に学ぶ ―動物実験で事故が防げるか?


2006; 11(1), 5-6


高橋道人
病理ピュアレビューセンター

2006年4月のイギリス・医薬品庁(MHRA)の発表によれば,3月に実施されたTeGenero社(ドイツ)で開発された完全ヒト型坑CD28モノクロナル抗体製剤TGN1412の臨床治験(フェーズI試験)において重大な副作用が発生した。18歳から40歳までの健康ボランティア全員(6人)が,投与直後から全身の痛みや呼吸困難を訴え,1時間後には多臓器不全のためICUに入院し,全員が人工呼吸器をつけられたが,そのうち2人は意識が無く,その後も重篤な状態が続いたという極めて重症の状態であった(4月5日付けの発表の段階で,5人は退院,危険な状態にあった1人もICUから一般病棟に移ったとされる)。これらは明らかに「サイトカイン放出症候群(CRS)」が発生したものである。 

この治験に使用された製剤TGN1412は,CD28-SuperMABとも呼ばれ,従来のモノクロナル抗体が単独でT細胞を活性化させないのに対し,本製剤は単独でT細胞を活性化させることから,super-agonistic anti-CD28 antibody(超作動性抗CD28抗体,あるいはCD28 super-agonist)と呼ばれるようになり,慢性B細胞性リンパ性白血病や,関節リウマチに伴う炎症状態の治療薬として開発が進められた。本物質は2005年3月に欧州医薬品局(EMEA)からオーファンドラッグ(希少薬)の指定を受け,動物モデルでは著しい予防・治療効果を示し,寛解させていたことから大いに期待された。 

通常,T細胞が活性化されるには,受容体signal-1(T cell antigen receptor:T細胞抗原受容体TCR)とsignal-2(co-stimulation:補助刺激)が必要である。Signal-1はTCRと,抗原提示細胞(APC)の細胞表面に提示された抗原断片のペプタイドとMHC(Major Histocompatibility Complex)との相互作用で生ずる。最初に発見され,現在でも最も強力な補助刺激を示すのがCD28であるとされる。TCRへの抗原断片ペプタイドの結合(in vivoではTCRへのanti-TCRモノクロナル抗体の結合)によりsignal-1が生成されるが,CD28の補助刺激が無ければT細胞はアネルギー(その後両シグナルがあっても反応しない)に陥るか,アポトーシスを生ずる。また,signal-1が無く,従来の抗CD28モノクロナル抗体を単独で用いてもT細胞は増殖しないが,anti-TCRモノクロナル抗体と併用するとT細胞が増殖し,インターロイキン2(IL-2)を生産するようになる。 

一方,TGN1412など,超作動性抗CD28抗体(super-agonistic anti-CD28 antibody)と呼ばれるものは,従来のanti-CD28モノクロナル抗体と異なり,単独でT細胞を活性化(増殖)させ,IL-2を産生することができるとされる。 

その結果,慢性B細胞性リンパ性白血病(B-CLL)は,抗原提示細胞としては機能しておらず,Tリンパ球の活性化によりアポトーシスを促進させないが,TGN1412が作用するとCLLのB細胞がAPCとして機能し,内因性腫瘍抗原特異性T細胞の標的となる。さらに,TGN1412によりCLL腫瘍細胞がアポトーシスを起こしやすくなる。従って,細胞性抗腫瘍免疫活性を高め,さらに腫瘍細胞のアポトーシスを増強する効果が期待された。 

また,関節リウマチは自己反応性T細胞が関与する自己免疫疾患の一つであるが,関節リウマチの動物モデルにおいて,TGN1412によるT細胞の活性化は,TCR複合体(T細胞抗原)に対して作用する他の物質とは異なる。他の物質は,炎症性サイトカインを主として誘導し,毒性の強いサイトカインストームを引き起こすが,TGN1412によるT細胞の活性化では,主としてIL-10などの抗炎症性サイトカインが誘導され,TGN1412はregulatory T cell(調整T細胞と呼ばれる)をはるかに強く活性化させるとされた。 

一方,ラットに対し同様の作用をもつsuper-agonistic anti-rat CD28 antibody(JJ316)を用いた実験では,0.5 mg/body/dayでラットのアジュバント関節炎を軽減すると報告された。しかし,この際,正常(健康)のラットにはJJ316が投与されていない。In vitroで[3H]チミジンの取り込みをみると,CD4+T細胞(主にヘルパーT細胞)とCD8+T細胞(主にキラーT細胞)が共に著しく促進し強い増殖作用のあることが判明しており,健康ラットを用いた実験では,1mgのJJ316を1回腹腔内投与しただけで脾臓もリンパ節も著明に腫大し,3日目に屠殺した剖検時の写真では,いずれも数倍に腫大したとされる。特に,CD4+T細胞(約6倍)とB細胞(約4倍)の増加が大きかったという。いずれの投与量も大きく異なっていない。すなわち,アジュバント関節炎を生じた動物では関節炎を軽減するが,in vitroでのCD4+T細胞,CD8+T細胞を増加し,健康動物を用いた場合には1回だけで脾臓やリンパ節を著明に腫大させ,CD4+T細胞やB細胞を著しく増加させることが示されていたのである。(用量は疾患モデル動物に使用した用量と大きく異ならない) 

今回の重篤な副作用の発生に関する原因調査によれば,投与量の誤り,処方または希釈の誤り,他の不純物の作用,前臨床試験の不備(アカゲザルとカニクイザルをモデル動物として使用)などの不適当な適用は無かったことが確認され,問題は見出されていない。しかし,サイトカイン放出症候群(CRS)は,急性注入反応とも呼ばれ,活性化されたT細胞からの急激なサイトカイン放出が全身性の炎症反応を引き起こす現象で「サイトカインストーム」とも呼ばれ,最も注意をしなければならない副作用であった。 

このような事故は防ぐことができなかったのであろうか?まず,現時点で判明していることは,TGN1412の製造,処方,希釈,投与のミス,などの手違いによっておこったものではなく,前臨床で用いられた動物も不適切ではなかったと思われる。従って,このたびの重篤な副作用の発生は,世界的なスタンダードに準拠して実施されたものであり,現行の治験の実施方法に問題があることが懸念され,今後の治験のあり方に対し警鐘を鳴らすものである。現行の治験の実施は,元々,化合物の薬剤を開発するために経験的に確立されたものであり,近年,開発が進んでいるバイオテクノロジー医薬品や新たな作用機序を持つ生物製剤,特異性が高い,特殊な作用を持つ新規薬剤,免疫系を標的とする新薬に関しては,果たして適切な方法であるか,検討すべき時期に来ていると思われる。 

少なくとも,今回の副作用事故では動物実験,すなわち,前臨床試験は無力であった。高用量投与試験の対象はカニクイザルで,ヒトに投与された用量の500倍に相当する50 mg/kgを希釈し,1時間かけて静脈内投与する方法で週1回,4週間投与され,その後2週間の観察が行なわれた。また,低用量として5mg/kgを1時間かけて静脈内投与する実験も行なわれたが,いずれも免疫学的な毒性は示されなかったとされる。動物実験では,このように慎重に行なわれたのに対し,ヒトでは,その結果を踏まえ「短時間に」投与されている。すなわち,体重80 kgのヒトでは薬物容量が4mlとなり,1.5mlで静脈内にボーラス注入されている。 

ここで問題になるのは,動物実験に対する過大な期待と過信である。前臨床試験における安全性試験においてもその傾向が見られる。私は,長い間,動物を用いた発癌研究に携わってきたが,ヒトのモデルとしての動物を用いた疾患モデルを確立することは容易なことではないと痛感している。臨床医や規制当局で動物実験の経験の無い方々においては,しばしば動物実験を過信する傾向があるように感じられる。動物実験で得られる情報には限界があり,有用なものもあれば,ヒトの安全性情報としては無関係のものもある。特に,わが国の医薬品開発においては,動物を用いた前臨床試験を重視する傾向がある。例えば,医薬品開発を目的にした動物試験において安全性の根拠としてNOAELの確立が強く要求されることなどはその典型である。本来,NOAELは,残留農薬や食品添加物など,ADIを確定する必要のある物質に必須の数値ではあるが,医薬品のように薬効のある物質に対しては,薬効と毒性の区別がつきにくいこともある。また,薬効自身が毒性に関与することもあるので,安全性を担保するためにNOAELを強く求めることの必然性がないこともある。 

今後,このたびの副作用事故を踏まえ,対策が取られることになると思われるが,医薬品開発全体が「アツモノに懲りてナマスを吹く」ような萎縮した方法論に発展しないことを望みたい。そのためには,今後,日本免疫毒性学会での医薬品の免疫毒性評価に関する責任ある議論が望まれる。