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追悼 Joseph G. Vos先生


2006; 11(1), 4


中村和市
塩野義製薬株式会社

Joseph G. Vos先生は,2006年5月15日にご逝去されました。享年65歳でした。日本免疫毒性学会ともつながりはあり,今から10年前の1996年には第3回免疫毒性研究会で特別招待講演を行っていただきました。そのときの講演内容,演壇上の御姿は今でも私の記憶に残っています。 Vos先生はユトレヒト大学の獣医学部をご卒業後,同大学で「ポリ塩化ビフェニルおよび不純物の毒性」の御研究によって博士の学位を授与されておられます。オランダ国立公衆衛生・環境研究所におきましては,1979年から病理・免疫生物学研究室の室長そして1991年から1994年までは保健研究部門長も務められました。1994年からは母校ユトレヒト大学獣医学部病理学教室で毒性病理学の教授職にも就いておられました。1984年から1988年までオランダトキシコロジー学会の理事長,1987年から1989年まで米国トキシコロジー学会免疫毒性分科会の評議員などの要職を歴任されました。論文,著書は数え切れず,ヘキサクロロベンゼンやブチルすずなどの環境化学物質の免疫毒性を中心に研究され,最近はアザラシなどの海洋生物における免疫毒性の調査も行っておられました。 

2005年3月に膀胱がんの摘出手術を受けられ,予後は良好だったそうです。しかし,その後再発し,8月には化学療法を受けておられました。重篤な症状であったそうですが,病を克服しようとする先生の御意志には周囲の人たちも心を打たれたそうです。一方で,その頃から御自身の公職の整理を始められていたとのことです。2006年3月に米国トキシコロジー学会でHenk van Loveren,Raymond Piter,Marc Pallardyの各氏から,Vos先生は自宅で静かに最期を迎えようとしていらっしゃることを聞き,悲しさが込み上げてまいりました。この度の訃報に接し,私自身既に覚悟はできていたとは思いますが,やはり打ちのめされた思いでした。 



私がVos先生に初めてお会いしたのは,1993年秋のユトレヒトにおいてでした。それから先生の運転する車でBiltovenにあるオランダ国立公衆衛生・環境研究所の研究室に連れて行っていただきました。1日かけて仕事を見せていただいたというより,短い1日で私に詰め込むように免疫毒性について教えていただきました。写真は,そのとき先生のオフィスでとらせていただいたものです。1996年に第3回免疫毒性研究会のために来日されたときは,シオノギの研究所でも講演をしていただきました。前日には世界遺産の姫路城にお連れして,白鷺が不死鳥のように阪神・淡路大震災でも倒れなかったことに驚いておられました。姫路に向かう山陽電車の中では,須磨の海岸を見ながら米国National Toxicology Programの免疫毒性評価法と比較しながら,御自身の確立した評価法が,どのように出来上がったかについてお話を伺うことができました。先生は獣医学部出身で病理学の基礎があったからだと言うことをお聞きし,なるほどと思ったことを覚えています。シオノギでの講演のあと,翌日の免疫毒性研究会に向かうために乗った新幹線の車中二人でビールをおいしく飲んだこと,東京の居酒屋で確か魚のひれのから揚げを珍しそうに食べていただいたことなどもつい昨日のように思い出されます。 

Vos先生が,1970年代,まだ免疫毒性という言葉があまり知られていない頃に環境化学物質の免疫毒性評価の体系を築きあげられたことは,日本免疫毒性学会の会員の方は皆ご存知かと思います。先生の段階的評価法はラットを用い免疫毒性評価の第1段階として病理学的検査を行うものでした。製薬企業に籍を置くものとしても,先生の評価法がどれだけ参考になったかわかりません。ICH (International Conference on Harmonisation of Technical Requirements for Registration of Pharmaceutical for Human Use:日・米・EU医薬品規制調和国際会議) の免疫毒性試験ガイドライン(S8)も先生の評価法をもとにしてできたといっても過言ではありません。 

Vos先生の死は,免疫毒性学界全体に大きな悲しみをもたらしました。米国トキシコロジー学会の免疫毒性分科会では,ニュースレターの特別号を組んで先生の死を悼みます。また,Vos先生御自身も2003年に受賞されたCareer Achievement Awardは,今後Vos先生の御功績を称えVos Awardとなります。同分科会が,このような大事な賞に外国人であるVos先生の名前を冠するということは,先生の御功績が先駆的で国際的にも評価されていたこと,また真面目で真摯な御人柄がいかに皆の尊敬を集めていたかを物語るものだと思います。 

Vos先生は逝ってしまわれました。しかし,免疫毒性学を志す者にとって,先生の御名前は永遠です。先生に様々なことを教えていただいたことを感謝しつつ,今はご冥福を心からお祈り申し上げます。