≪Non-category (寄稿・挨拶・随想・その他)≫

一般人集団に適応する免疫指標を用いた環境リスク検出の試み


2004; 9(1), 5-7


吉田 貴彦
旭川医科大学健康科学講座

1.はじめに

1960,70年代の高度成長期には,公害対策の法体系の未整備など環境保全対策が不十分であったために全国的な環境の高濃度汚染が社会問題化していた。しかし,その後の環境保全対策の進展と環境汚染物質排出の抑制技術の発展とによって,我が国の古典的な環境汚染物質は劇的に低減され,かつての典型的な公害の発生はほぼ見られなくなった。その一方で,科学技術の進歩にともなって膨大な数の化学物質が開発・合成され使用されるに至り,それらによる環境汚染が世界的な広がりを見せている。その汚染物質の種類は膨大であり,空気や飲食物を介して長期間にわたって我々の体内に複合的に負荷・蓄積された後に生体影響を発現し我々の健康を害している。1990年代から微量の環境汚染化学物質による内分泌撹乱の問題が特に注目され,2000年代には同じく微量の室内空気質汚染化学物質によるシックハウス症候群の問題が我が国でも社会問題化している事は,その良い例である。我が国では,従来行政的に環境汚染化学物質の動向調査がなされてきたが,測定対象化学物質の増加に対応することが困難になった事を受け,代表的かつ影響の大きい化学物質の環境測定を継続しつつ,住民の健康影響をスクリーニング的に調査することによって当該地域の環境リスクを総合的に検出しようとの試みがなされている。ヒト集団で起こる健康障害による症状等を疫学的に調査する意義は高いが,健康障害が現れるには長期間を経るために早期の対策立案にはつなげ難いうえに,後追い的な感が拭えない。そこで,現時点でヒト集団に生じている症状発現に先立つ生体影響を検出することをもって環境リスクを検出することに主眼が置かれる。

2.免疫指標の意義

神経−内分泌−免疫系は互いに影響しあいながら生体恒常性維持において重要な役割を担っている。このうち免疫系は多くの免疫担当細胞群と液性因子類が相互に関連する複雑なネットワークを形成している事に加え,神経系および内分泌系の間接的な制御を受ける事により大きな枠組みの中で生体防御の主要な役割を担っている。こうした複雑系であるが故に免疫応答システムは環境有害因子の影響を受けやすく,免疫系の機能である免疫応答などの指標は感度の良いバイオマーカーとなりうると考えられている。ここに免疫系を標的臓器として捉えて有害因子による負の生体影響(毒性)を評価する免疫毒性学の意義があると言えよう。免疫系に対して環境有害因子が作用した場合に,その生体影響として免疫応答の抑制による易感染性や腫瘍発生の増加,逆に亢進による自己免疫疾患やアレルギー関連疾患の増加などがヒト集団に生ずる可能性があり,公衆衛生上大きな問題となる。そのため,ヒト集団における健康障害の発生が顕在化する前に,免疫指標をバイオマーカーとして集団の健康度を測定し環境リスクを検出することは,環境保全対策の策定につなげられ国民の健康の保持増進を図る上で有用である。

3.小児集団での検討

筆者らは1998年に厚生省委託研究を受けて,環境リスクを検出する事が可能なバイオマーカーとして用いることの出来る免疫学的検索法の確立に取り組んだ。動物実験を中心に行った委託研究の検討の結果から選択した免疫指標をさらに絞り込み,健常なヒトから比較的容易に得られる検体で実施可能,かつ全国展開のために簡易で検体の運搬・保存が可能な検索法を選んだ。この過程で,環境リスク検出感度が良いながら培養を要する検索法は除外した。その結果,選択した免疫指標は,末梢血から分離・抽出される血清およびmRNAを検体として測定可能な項目である。また,均一集団が得られ,かつスクリーニング調査を容易ならしめるために集団健康診断が実施される3歳児健康診断を受診した小児を対象に設定した。すなわち,総IgE抗体,3歳児健診までにほぼ全員が予防接種を受けて抗体産生応答が誘導されて生産された抗麻疹IgG抗体,抗風疹IgG抗体,さらにはアレルゲン特異的IgE抗体,免疫バランス制御にかかわるサイトカインであるIL-4およびIFN-γのmRNA発現量を免疫指標として採用した。また,主観的な指標として,アレルギー関連症状の有無,アレルギー関連疾患の診断既往の有無を補足的に用いた。以下に,4年間にわたって行った調査研究の成果を示しながら,今後の展開について考察する。

対象者の居住地などの大きな地域別の検討では,北海道A市で関東圏のH市,Y市,T市に比して総IgE抗体価が有意に低く,IFN-γ/IL-4mRNA発現比はA市とT市が他市に比べて有意に低くY市が最も高かった。食餌性アレルゲン特異的IgE抗体陽性者の率はA市にて少なく,T市で多いなどの地域的な差が存在する事がわかった。4年間の調査対象者全て(合計681名)をプールして解析を行ったところ,屋外環境要因の検討では,大規模な工場に近接して居住する者にアレルゲン特異的IgE抗体および吸入性アレルゲン特異的IgE抗体の陽性の者の割合が低い傾向があった。屋内環境要因の検討では,コンクリート造の家屋に居住する者が木造に居住する者に比して総IgE抗体価が高く,かつアレルゲン特異的IgE陽性者の割合も多かった。逆に同居する喫煙者が居る方が総IgE抗体価が低値であった。抗風疹IgG抗体価は喫煙者数が多いほど高値となる傾向があった。以上のように免疫指標と環境要因の相関について従来の常識的説明と符合する項目もあれば,必ずしも合わない項目もあった。理論的な説明が付けられ難い原因として次のような事が考えられた。アレルギー症状を有する者が,改善を願う家族の努力によって原因アレルゲンや免疫応答変容物質への曝露を回避した(寝室・居間でのカーペット使用の中止,布団からベッドへの変更,ペット飼育の中止,タバコ煙曝露の回避など)例が幾つか見出され,こうした行動変容が結果を撹乱した可能性が考えられた。そこで,健診受診時点での生活状況の調査に加えて過去の生活状況の調査も行ったが,状況毎の例数が少なくなり明確な解析は出来なかった。また,純系の実験動物を用いて単独の因子の曝露影響を観察する動物実験や,典型的症状を呈する臨床患者に対する検査結果などは,教科書的な理論で説明のつけられる場合が多いものの,フィールド調査での一般ヒト集団は様々な素因や生活習慣を背景に持つ個体から構成されるために,環境リスクの影響を受けて変動する免疫指標を集団として把握する場に教科書的に説明出来ることはむしろ稀であるかも知れない。逆に教科書的な変化が集団中に観察された場合には,相当程度の環境要因の作用が存在していると考えるべきであろう。次いで,地域毎に免疫指標に大きな差異が認められた理由について考察すると,気候(温湿度など)の影響,自然植生に起因する環境アレルゲン(花粉など)の影響,地域特性に起因する家屋要因(建築様式,建築部材,気密性,暖房・換気方式などと,室内アレルゲンの発生母地など)が影響する部分が大きいと推測された。特定の環境要因(新築家屋居住,幹線道路近接居住,大規模工場近接居住,同居喫煙者,ペット飼育など)と関連すると考えられる免疫指標の変動について,地域毎の対象者のみに限定して解析すると関連性ありとして検出される場合がある一方で,全調査ないし複数地域をプールして解析すると関連性が検出され難くなる事実は,上記の地域に関連する要因などの交絡要因の影響の大きさが反映していることを示すものであろう。従って,免疫指標を用いて環境リスクを検出する試みは大まかな地域毎に行うべきであって,その中で例数を蓄積して地域標準データを作成し,それからの偏移をもって環境リスクを検索するべきであろう。我々が取り組んできた一連の調査研究は,現時点では地域毎に解析するには例数がまだ不十分であり環境リスクの検出力に限界があるが,今後に調査が継続され例数が蓄積されるならば,十分に環境リスクの検出が可能であろうと思われる。

4.あとがき

ヒト集団において環境リスクによって免疫系に影響が見出される事は国民の健康の維持・増進にとって大きな脅威であることから,様々のバイオマーカーが検討されている中にあって免疫指標はその重要性が高いものと考えられる。今後,各地においてモニター的に免疫指標をバイオマーカーとして用いた環境リスク検出の事業が展開され,環境改善・保全の対策策定に用いられん事を願っている。

参考文献

厚生労働科学研究費補助金 化学物質リスク研究事業「生活環境汚染物質による小児での毒性評価のための免疫指標の開発に関する研究」平成13−平成15年度総合研究報告書 主任研究者 吉田貴彦