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白砂の保養地で開催された,第二回環境起因性職業性アレルギー免疫疾患国際シンポジウム


1999; 4(2), 2


日下 幸則
福井医科大学医学科環境保健学講座 教授

 キエッテイは,アドリア海に面した街であった。歴史を百年ほど遡ると,この保養地の興りに行き着くそうだ。アドリア海は,驚くほど静かだった。会場となったホテルに5日間滞在し,朝か夕に,海岸通りを散策したが,ついぞ,白い波涛は目にしなかった。白い壁のホテルが,幾つか,この海岸通りに沿って散在していた。イタリアの空港から飛び立ったNATO軍機が,このアドリア海を越えて,対岸のバルカン半島のコソボを爆撃している頃であった。しかし,とても,その情景を想像できないような明るい陽の光を楽しんだ。

この保養地が持つ百年の歴史は,しかし,ローマ帝国の歴史に比べると,赤子のように若いのだろう。アウグスティヌス凱旋門のそびえる辺り,古代ローマの丘に残る政庁遺跡を観光した目には,白い煉瓦の壁と,赤瓦の民家は,とても新しく見えた。学会初日の会場となったキエッテイ大学も,ここ30年ほどの歴史しかない,若い総合大学 (医学部,薬学部,工学部,文学部) である。その大学が,免疫,老化,環境というキーワードを連ねて,大学の学問,研究の道標としている。ユニセフの指定研究機関ともなっている。本学会も,誠に,そのラインに沿った,大学挙げての催しであった。空軍のパイロットに徴兵されたと胸を張っていた,若い外科医も,学会運営の一人であった。

 ここキエッテイから北へ100kmほど行ったところにあるモデナには,欧州共同体に直属する,免疫毒性予知研究所も置かれている。ここでは,化学性の原材料,工業製品,日常用品として,エンドユーザーに渡るような製品など,それらの持つ免疫毒性,アレルギー性を予知予測する研究所である。この所長による冒頭の総会講演で,学会の幕が切られた。そこでは,予知予測の戦略,開発中のアッセイ法,さらに欧州共同体のポリシーが語られた。

 もうひとつ,大西洋の向こう,アメリカ合衆国立産業安全衛生研究所 (NIOSH) の免疫毒性部門からも,その長が参加していた。が,そのまとまった講演が聞けなかったのが残念であった。というのも,増加する新規化学物質,薬品,食品,製品の洪水の中で,その免疫毒性,アレルギー性,感作性を,スクリーニング,予知予測する科学が焦眉の課題である。個別の物質の起こす特異的な免疫アレルギー疾患,その病態とメカニズム,という観点からの調査研究では,この事態に対しては,明らかに限界があるのである。国家的観点,社会医学的観点から,これに備える必要があるだろう。かつて,発癌性,催奇形性に対して取られた対策のように。個別の研究者,個別の大学研究室でも,同様な限界を持っている。

 小生の分野でも,羨ましく思えた研究発表があった。やはり,欧州共同体が設立した,イタリアにある環境医学研究所からの講演であった。環境中,生体組織から系統的に,一貫して,様々な金属検出,分析を行い,その免疫毒性,アレルギー性を検討している。そのレビューが,所長からなされた。

 また,この学会の特色は,他にも幾つかあった。国際産業衛生学会,免疫学会などとの共催により,このような学際的,応用化学的分野を,関連演題で埋められたこと,と同時に,世界的に増加する喘息やアトピーの分子生物学的到達点がレビューされたこと,さらに悪性腫瘍に対するサイトカイン治療法の現況が報告されたことなどである。誠に,盛りだくさんの欲張った学会であった。日本からは,本学会に先立つ,第一回環境起因性職業性アレルギー免疫疾患国際シンポジウムの学会長であった鹿児島大学衛生学教室の松下名誉教授を初めとして,大阪大学医学部環境医学教室,帝京大学薬学部,川崎医科大学衛生学教室,国立環境研究所などの参加があった。学会長のボスコロ教授は,松下教授の旧知とあって,私たち日本勢を,現地の博物館,ドライブへともてなして下さった。そのお陰で,イタリアの旅は,一層,楽しい思い出となった。我が福井医科大学環境保健学講座からの参加者計二名が,ローマでの空港タクシーに,それぞれの手口で,お金を巻き上げられたことも,今では,懐かしい語り草となりつつある。