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呼吸器と産業医学


1998; No.5, p4-5


津田 徹
産業医科大学 産業生態科学研究所 呼吸病態生理学

 呼吸病態生理学研究室は職業や環境に起因する呼吸器疾患の発生機序,病態生理の解明およびその予防について研究,教育を行う目的で,昨年4月にオープン致しました。香山先生より本稿を書く機会を与えられましたので,研究内容 (実験部分) について,紹介させていただきたいと存じます。

 内臓のなかで呼吸器は唯一,外界と直接的に接触し,環境の影響を受けやすい臓器であり,呼吸器疾患は遺伝的要因,大気環境,住居・室内環境,作業環境,喫煙などと関係があることから多因子疾患として捉えられています。特に,慢性気管支炎,肺気腫,気管支喘息,肺線維症,肺癌などの疾患は職場における作業環境により影響を受けることから,作業関連疾患という概念を含んで捉えなおす傾向にあります。

1. 工業用繊維の安全性の評価・予測

 石綿の代替として,新規に開発された人造鉱物繊維の生体影響を事前に予測するシステムを労働衛生工学研究室とともに開発している。当研究室ではそのうち,どの遺伝子マーカーが人造鉱物繊維の生体影響予測の指標として有用か,喫煙などの交絡因子による反応の修飾を含め,検討を行っている (図)。これまでに,鉱物線維の気管内注入and/orタバコ副流煙曝露,1年間の長期吸入曝露ラットモデルにおいて,肺のリモデリングに関与するサイトカイン (IL-1α,IL-6,TNFα,CINC1,CINC3),成長因子 (PDGF-A,PDGF-B,TGF-β,bFGF),コラーゲン分解酵素とその抑制酵素 (MMP1,MMP2,TIMP1,TIMP2),細胞外基質 (1型コラーゲン,エラスチン),活性酸素の関連酵素 (iNOS,MnSOD) などの遺伝子発現を−PCRを用いることにより検討を行ってきた。



−PCRはmRNAの半定量法ではあるが,蛋白質の検出系と異なり,それぞれの抗体を必要とすることなく,多くの因子をスクリーニングするには最適の方法と考える。将来的には石綿代替品にとどまらず,広く,工業用に開発された吸入可能なサイズと固形物質の呼吸器に対する影響予測のシステムとして応用されればと考えている。現在,これらの遺伝子のプロモーター領域に関与する転写因子についても,まず,ヒト肺胞2型上皮 (A549) 細胞株を用いて検討を加えている。

 新たに開発された人造鉱物繊維のリスクアセスメントのシステムを考える上では,繊維の物理化学特性,試験管内試験,動物実験 (気管内注入,吸入曝露試験),人間集団での疫学調査を総合して,それぞれの繊維の健康影響を考える方向にある (リスクコミュニケーション)。この点から人造鉱物繊維のリスクアセスメントについては地質学 (鉱物学),化学,物理学,数学,労働衛生工学,呼吸器病学,病理学,免疫学,分子生物学,細胞生物学,疫学,行政,など多分野の知恵を結集することが必要になってくる,非常に学際性の高いものであるとされている。

2. ムチン遺伝子の発現制御,作業関連疾患と気道分泌

 分泌型のムチンは分子量107ダルトン以上と巨大で,糖鎖がその70%以上を占めている。まわりを覆う糖鎖のためにコア蛋白の構造はこれまで明らかではなかった。しかし1989年〜1993年共同研究者のGum, Kimらによってヒト腸管ムチン遺伝子MUC2及びMUC3がクローニングされ,スレオニン,セリンを主体とした繰り返し配列にO-Linkedの糖鎖が多数結合している構造であることが明らかになった。

 気道や腸管で分泌されるムチンは分泌顆粒として細胞の中に蓄えられ放出される。その後,S-S結合,イオン結合,糖-糖結合により凝集,重合し,高分子化することにより粘性を持ったゲルとなる。気道から分泌されるリゾチームやS-IgAもこれらの機序によりムチンと結合し,生体防御に関わっている。また,ムチン表面の糖鎖は,細菌やウイルスを結合して上皮への直接攻撃を阻止していると考えられている。逆に,緑膿菌などのcolonizationにムチン糖鎖が関与していることも示唆されている。これまでに,ヒトのムチン遺伝子はMUC1から7までがクローニングされている。興味深いことに,MUC2,5は血液凝固因子のvWFのドメインを持ち,MUC3はEGF様のドメインを持つことがわかってきた。現在のところ,それらが実際,どのような機能を持っているのか不明であるが,ムチンには,単に,上皮の表面を覆い,外界から粘膜表面を守るだけではなく,多彩な機能があると考えられる。また,セレクチンのリガンドもムチン様のドメインを持っていることから,細胞の接着分子としての役割を考慮に入れながら,ムチンの生理的存在意義について考えている。

 生化学,分子生物学の分野から毒性学の分野に入ってきたこともあり,最初,免疫毒性という言葉に抵抗がありましたが,私の戸惑いに答えてくれた香山先生の,「サイエンスは地続き」という言葉を念頭に,お仲間に入れていただきたいと存じます。

日本語の総説
・ 森本泰夫,津田 徹ほか,呼吸器疾患の動物モデル じん肺症 呼吸 16 (6月号) 1997
・ 津田 徹ほか,ムチン遺伝子 呼吸 15 (7月号) 722-730 1996