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免疫毒性と安全性評価 


1996; No.2, p5


澤田純一
国立衛生試験所機能生化学部

 免疫毒性 (狭義) とは,化学物質等の生体異物が宿主の免疫系に影響を与えて,免疫抑制に基づく病原体や腫瘍への抵抗性の低下,免疫異常亢進による自己免疫の発症等,生体にとって有害な作用をもたらすことを指す言葉である。従って,免疫抑制の場合,免疫毒性の有無の判定の基準となるべき方法は宿主の微生物感染防御や腫瘍細胞排除を行う能力 (宿主抵抗性) の低下を定量する方法であるべきであろう。しかし,実験動物の場合ですら,宿主抵抗性モデル系を用いて免疫毒性試験を行うことは,技術的及び経済的な制約があり容易ではない。そこで,宿主抵抗性の低下と種々の免疫毒性試験項目のパラメーターの変化の間の定量的な相関関係を明らかにし,宿主抵抗性の低下とよく相関する他の免疫パラメーターによって代替する必要がある。

 残念ながら,宿主抵抗性低下と免疫関連パラメーター変化の間の定量的な相関関係は,まだ十分に明らかにされておらず,免疫毒性試験データを安全性評価に適用する際の問題の一つとなっている。具体的に云うと,末梢血のリンパ球や特異的抗体レベルがどの程度低下した場合に,感染がどの程度起きやすくなるかという定量的な関係が必要とされるが,明確な閾値の設定根拠となるデータはまだ乏しい。また,正常範囲が広いパラメーターの場合には,閾値の設定が難しいこともある。豊富な免疫関連パラメーターの中には,オプショナルな指標として,標準的な項目に追加することが可能であるものが多いが,これらのパラメーターには十分にvalidateされていないものもあろう。このため,全ての免疫毒性試験のパラメーターを無条件に無毒性量 (NOAEL) 等の決定に採用してよいか否かに関しては,最終的な結論が得られていない段階にある (当面は'potential risk'として,ケースバイケースに考える他はないと思われる) 。

 また一方,宿主抵抗性の試験には,技術的なレベルで,感度の問題がある。生存率による宿主抵抗性の定量が,低感度であることは,従来より指摘されており,血液等に残存する病原体数などのパラメーターに置き換えられている。チャレンジする病原体等の数を適切に設定することも重要とされている。それでもなお,ある宿主抵抗性モデル系の感度が低い場合には,これは,免疫系の'redundancy'によるところが大きいと推定される。例えば,ある病原体に対する感染防御に自然免疫 (好中球などによる貧食・殺菌),抗体,細胞性免疫の三者がほぼ等しく寄与している場合,一つの機能が大幅に低下しても,宿主抵抗性の試験法では大きな影響が明示されない可能性が考えられる。即ち,単一の宿主抵抗性試験のみで評価されたNOAELは高目にでる (危険を過小評価する) ことがありうることを意味する。逆にいうと,自然免疫,体液性免疫,細胞性免疫のみをそれぞれ個別に反映するような宿主抵抗性モデル系で,それぞれのNOAELを求めることが理想とされる (現実には難しい) 。この様な事情から,本来免疫毒性試験法の基準の一つとなるべき宿主抵抗性モデルも,現在のところ,必ずしも最良の基準とは云い切れず,さらに検討・評価される必要があるように思われる。

 次に,「ヒトへの外挿」の問題を解決する必要があることは,免疫毒性の場合も例外ではない。ヒトと動物の間を結ぶ種々の実験系が勘案されるが,それ以前に,そもそも,ヒトでの免疫毒性に関する定量的データが手許に無い (または,臨床データが定量的に解析されていない?) ことが痛感される。AIDS患者に関する調査により,末梢血CD4+細胞数の低下と日和見感染発症率の増大の間の関係が報告されている1)。ヒトでのパラメーターは,血液や尿を用いる体外診断により得られるものが主となるものの,このような免疫関連パラメーターの変化と抵抗性低下の間の定量的なデータの蓄積がさらに望まれる。また,ヒトで得られる個別の対象物質に関するデータは,例え断片的であっても,動物とヒトとの感受性の相違を類推する上で貴重なデータになるものと期待される。このような現状を考えると,さらに多くの臨床領域の研究に携わる方々に,免疫毒性研究会への参加と,ヒトでの免疫毒性評価に必要な基礎データの提供をお願いせざるを得ない。

1) Masur,H.,et al.,Ann.Intern.Med.,111:223-231 (1989)