≪Immunotoxicology 最前線≫

トキシコゲノミクスと免疫毒性


2002; 7(1), 10-11


堀井 郁夫
ファイザー製薬株式会社・中央研究所・安全性研究統括部

免疫毒性評価の変遷

 1960年後半・1970年始めにかけて酢酸鉛やPCBなどの金属・化学物質が免疫システムに影響を及ぼす事が提起されて以来30年,今日まで様々なアプローチの仕方で免疫毒性の検証とヒトにおける意義について検討・考究されてきた。この間,免疫反応検出のための新しい技術の開発,免疫作用の生物学的指標の提示・規定・その生物学的意味など,この領域の科学に携わってきた科学者による毒性免疫機能理解のための科学的水準の向上に対する熱意・努力により,トキシコロジー科学の免疫毒性としてのリスクアセスメントができるようになると共に一つの学問領域としての位置を占めるようになってきた。

 近年の遺伝子科学を含む技術の発展はめざましいものがある。現在,人間のゲノムはほとんどその配列が明確にされ,遺伝子に関する技術的進歩は,遺伝子発現とそれに対応するタンパク質産生に関する解析・解明に更に拍車をかけるようになってきている。免疫毒性においても関連遺伝子発現の変化を見る事は,免疫毒作用発現の機序を理解するのに役立つ事は言うまでもなく,その導入はもう既に始まっている。

トキシコゲノミクスの観点からの免疫毒性の位置付け

(1)分子毒性学的アプローチの意義

 分子免疫毒性の目的は重要な免疫制御遺伝子の一時的な発現に対する化学物質の曝露効果を解析することにある。免疫システムの重要な役割を担っているサイトカインの場合,簡単にいうと分子免疫毒性上では遺伝子発現の指標としてサイトカインのレベルを分析することになる。このように分子免疫学的指標を明らかにすること自体が免疫毒性機序の解明・新しい分析手法の開発・新規化合物の免疫毒性発現の予測につながることになる。サイトカインの誘発にはmRNAとタンパク発現が関与し,mRNAレベルでの遺伝子発現は組織・器官でのある特定のタイミングでのみ感度良く捉えることができるが,関連タンパクの発現は比較的長いタイミングで体液成分から捉えることができる。この基本的概念は,免疫反応が抑制的に働く場合にも増長的に働く時も同様である。

 ヒトゲノムの構造に対する急速な解明・解析が進むに伴って,対象としている細胞・組織の遺伝子レベルでの反応を解釈する上でその対応するマーカー遺伝子を中心に調べて行く事は,化合物を曝露したときの遺伝子のシーケンスの違いを同定・特徴づける大きな根拠となり,ヒトへの毒作用・副作用を予測する上で大きな手がかりを与える事が出来る。すなわち,それが種特有性の反応であるかどうか,また,対象となる種がレスポンダーであるかノン・レスポンダーであるかを見極め判定できるようになるという事は,薬理学的及び毒性学的な面で大きな意味があるのみならず,免疫毒性面の人での副作用の現われ方の個人差をも言及できると言う意味を持っている。

 免疫毒性における分子毒性学的アプローチの重要要点としては(1)免疫応答制御における細胞外因子の役割(2)遺伝子・タンパク発現の解析(3)機能成分(免疫機能発現時の細胞内シグナリング因子)の誘発(4)遺伝子シークエンスの特定などが挙げられる。

(2)ゲノミクス手法の免疫毒性評価への適用

 免疫毒性評価における遺伝子科学的手法は,一般的に使用されている方法が積極的に取り入れられている。すなわち,mRNA発現解析のためのRNA分離法,mRNAの分子同定のためのNorthern-blotting法,その簡便法としてのDot/Slot-blotting法,好感度なRT-PCR法,プローブ作成のためのHybridization法などがあるが,このようなToolは常に新しい方法の試みがなされており,特にトランスクリプトーム・プロテオームとしての遺伝子・タンパク発現の検地に関するToolとしては,市販の形で遺伝子チップ,タンパクチップとして一般に市販されている。ただ,得られたデータの解析のための Database構築, Expert-system利用については,今後更なる検討が必要となろう。

(3)実際例とその問題点

 文献的にはCyclosporin A,Biostin,TCDD,TBTO,Ozone,Azathioprin,DNCB,TMA,HgCl2などの曝露によるサイトカインに関する遺伝子発現について検討がなされている。

以下に免疫毒性評価のための遺伝子発現について若干のコメントを加えた。

 Cyclosporin Aのような免疫抑制剤については,免疫毒性反応は一般毒性試験では病理組織学的評価以外では捉えにくく,対応細胞数の減少としてではなく細胞機能低下として現れるので免疫をかける方法でないと検知が難しい。この事は遺伝子発現についても同様である。すなわち,免疫をかける方法で検討した時,サイトカインの誘発に関する遺伝子発現などが抑制される形で現れる。細胞毒性・細胞分化抑制を示すような制癌剤では,免疫臓器縮小・白血球減少などの細胞数の減少がみられApoptosis,Cell-cycle関係遺伝子発現に変化が起きている。TCDDの場合は,AhRを介するが結果的には免疫臓器縮小・白血球減少が起きるが,分裂増殖中の細胞の全てに抑制的に働くのでなく,細胞特異性が有ることから遺伝子発現の変化も細胞毒性を示すような抗癌剤とは異なってきている。アレルギー誘発性・抗原性を持つ薬剤では局所およびリンパ系臓器で免疫誘導が起きるのでサイトカインなどの遺伝子が発現してくる。

 これまで述べたように免疫機能に変化が起きている場合,多くの場合,免疫をかける方法で評価しないとその免疫毒性作用を検知できないことが多い。遺伝子発現についても同様で免疫がかかった状態で,すなわち免疫誘導が起こった状態で誘発されるサイトカインなどの遺伝子発現として捉えることになる。このような場合,免疫後のサイトカイン遺伝子の発現はサイトカインの種類によってTime-courseが異なるので評価対応時期に注意する必要があろう。

今後の展開

 将来的には,遺伝子発現に関連した技術はもっとロボット化・単純化してくるものの,定量的には更に精度が高まり,より高度な検知方法が開発されるようになる。また,免疫毒性の関連遺伝子の生体での役割がより明確になってくるのも自明のことである。

 免疫に関連した毒性評価・安全性評価において,創薬研究に関しては,「創薬の早期における免疫毒性評価」,開発研究では,「人への外挿を考慮した免疫毒性試験実施・評価」,臨床開発研究および市販後調査では,「人での免疫に関連した副作用評価」について分子毒性学的免疫機序解析から示唆される事象をどう取り込みながら臨床の場で利用して行くかが重要課題になって来るだろう。

 ゲノム時代に遭遇するに当たり,今後,医療の場において医療ビジネス・医療科学・治療科学・患者の背景などが大きく変わってきてくる事が予想される。免疫応答に関する分子毒性学的アプローチの方法・方向性は,これら背景の動的変化に対応しながらトキシコゲノミクスとして必要とされる新しいテクノロジーを積極的に取り込んだ免疫毒性の観点からの安全性評価が展開される事が期待される。