ImmunoTox Letter

第7回(2017年度)日本免疫毒性学会学会賞
揮発性有機化合物に関する免疫毒性研究

藤巻秀和
(元国立環境研究所主席研究員)

藤巻秀和先生
藤巻秀和先生

1.はじめに

 環境中には健康リスクが高いと考えられる多種類の化学物質が存在しており、中にはアレルギー疾患等の増加との因果関係について危惧されているものもある。また、いわゆる「シックハウス症候群」や「本態性多種化学物質過敏状態」などにみられる室内での低濃度の揮発性有機化合物(VOC)の曝露によると考えられている体調不良なども報告されている。しかしながら、その解明に向けた取り組みは遅れており、実験動物を用いての研究も報告が少ない。そのような状況ゆえに、環境中の低濃度のVOCによる健康影響、生体影響の解明は急務と考えられている。
 今回の研究では、1、環境中の濃度を考慮した低濃度のVOC曝露が実験動物の免疫系に及ぼす影響、2、生体の恒常性維持機構において重要な免疫ー神経間での情報伝達経路へのかく乱作用の有無、3、室内での滞在時間が多く、大人に比べ感受性が高いといわれている幼児、小児などの発達期の免疫系への影響について実験動物を用いて解明することを目的として、低濃度VOCによる免疫関連領域における健康影響を評価することとした。

2.低濃度VOC曝露と免疫毒性

 VOCとしてホルムアルデヒド、あるいはトルエンを用いて曝露し影響評価を行った。マウスの系統は、これまでの研究でVOC感受性が高いと考えられたC3H/HeN(6-8週齢)雄を用いた。曝露条件として、ホルムアルデヒドは、0、80、400、2000 ppbの濃度で、1日16時間、週5日の曝露を12週間行った。ちなみに、室内空気濃度指針値は、0.08 ppm、作業環境許容濃度は0.5 ppmである。トルエンは、0、5、50、500 ppmの濃度で、1日6時間、週5日の曝露を6週間行った。室内空気濃度指針値は、0.07 ppm、労働安全衛生法:管理濃度は50 ppmである。
 ホルムアルデヒド曝露では、大きく2群にわけ、ホルムアルデヒドのみの影響を検討する群と卵白アルブミン(OVA)感作を組み入れたホルムアルデヒド(アレルギーモデル)群を設定した(1)。その結果、免疫臓器である胸腺の重量においては、いずれの曝露においても変動はみられず、脾臓の重量において、ホルムアルデヒドのみの400、2000 ppb曝露により対照群より有意な低下がみられた。アレルギーモデル群では、曝露による低下はみられなかった。脾臓リンパ球の亜集団分布の変化をフローサイトメトリーにて測定した結果でも、ホルムアルデヒド曝露による変動はみられていない。
 肺胞洗浄液(BALF)中に回収された炎症性細胞の数の変化では、ホルムアルデヒド曝露群の総細胞数に変化はなかった。一方、アレルギーモデル群では、2000 ppb曝露による総細胞数の有意な増加、肺胞マクロファージと好酸球の数の増加を認めたが、他の濃度では変化は認めなかった。BALF中の炎症性サイトカインTNF-α、IL-6、GM-CSFの産生には対照群と曝露群とで差はみられなかったが、アレルギーモデル群の2000 ppb曝露によるIL-1βの低下がみられた。また、BALF中の神経栄養因子の産生については、アレルギーモデル群の80と400 ppb曝露による神経成長因子(NGF)の低下が認められた。
 血漿中の抗原特異的抗体価においては、アレルギーモデル群の400 ppbの曝露によりIgG1とIgG3の低下がみられたが、IgE抗体価に有意差はみられていない。
 血漿中のNGF量についてもホルムアルデヒド群では変化しなかったが、アレルギーモデル群で80と400 ppb曝露での有意な低下を認めた。
 以上をまとめると、低濃度ホルムアルデヒド曝露では、アレルギーモデル群での軽度な変化は認められたが、顕著な曝露による炎症やTh1/Th2バランスの偏りを積極的に促進する結果は得られなかった。BALFと血漿では低濃度曝露によるNGFの産生の抑制を認め、神経系への曝露による影響との関連を示唆しているのかもしれない。

 低濃度トルエン曝露の影響を解析した結果では、トルエンのみの曝露群では、BALFの総炎症性細胞数に変化はみられなかった。トルエン曝露にOVA抗原感作を組み入れたアレルギーモデル群では、6週間曝露でBALFの総炎症性細胞数の増加が50 ppm曝露でみられた(2)。肺胞マクロファージ、リンパ球、好酸球数で増加傾向が認められた。BALF中の炎症性サイトカイン、及びNGFの産生にはトルエン曝露による変動は見られていない。脾臓におけるサイトカインや転写因子の遺伝子発現では、アレルギーモデル群の中の50 ppmトルエン曝露で、IL-4, IL-12, GATA3, Foxp3 mRNAsで有意な発現増加を認めた。トルエン曝露のみの群の脾臓では、曝露による変動は見られていない。血漿中の抗体価の検索では、アレルギーモデル群の抗原特異的抗体価にトルエン曝露による変化は見られていないが、50 ppmトルエン曝露で、総IgG1抗体価の増加がみられた。
 以上、低濃度トルエン曝露では、アレルギーモデル群の肺における炎症性細胞の浸潤に差を認め、脾臓におけるサイトカインと転写因子の遺伝子発現に曝露による影響がみられた。しかしながら、低濃度トルエン曝露による特徴的な免疫機能へのかく乱作用はみられなかった。

3.恒常性維持機構にかかる神経―免疫ネットワークのかく乱

 低濃度ホルムアルデヒド曝露によるBALFや血漿中のNGF産生の低下をさらに探るため、脳内での神経幹細胞の存在が明らかにされた海馬におけるNGF産生について検索した。NGFはすでに気道の炎症や過敏反応の誘導に関係することやNGF産生そのものがサイトカインの制御を受けていることも明らかとなっており、神経組織における炎症の誘導についても関与が疑われている。
 低濃度ホルムアルデヒド曝露したアレルギーモデルの海馬におけるNGFタンパク量をELISAで測定したところ、400 ppb曝露群で有意な上昇がみられ、NGF免疫染色によりそれを裏づける結果が得られた。PCR法によるNGF mRNA発現でも80、400 ppb曝露群での有意な増加がみられた。さらに、NGFの受容体であるTrkA mRNA発現の増加も認められた。
 C3H/HeNへの低濃度トルエン曝露では、500 ppmトルエンのみの曝露群において海馬におけるNGFとTrkA mRNAsの発現が有意に増加した(3)。この実験では、BALB/cとC57BL/10のマウス系統を用いた低濃度トルエン曝露もあわせて行ったが、変化がみられず系統間での反応における差が明らかとなった。低濃度トルエンのC3H/HeNアレルギーモデル群への曝露では、50 ppmトルエン曝露によりNGF mRNAの発現増加がみられ、NGF免疫染色では海馬CA3部分において強い染色像がみられた。アレルギーモデル群の海馬の方が、トルエン曝露のみの群より反応性が高まっていることが示唆された。
 次に、自然免疫において重要なTLR4とトルエン曝露への反応とのかかわりを海馬において検索するために、C3H/HeNマウスとLPS低応答でTLR4に欠陥のあるC3H/HeJマウスを用いて低濃度トルエン曝露を行った。その結果、C3H/HeJではTLR4及び転写因子NF-κBのmRNA発現に差はみられなかったが、C3H/HeNマウスでは、50 ppmトルエン曝露でTLR4、NF-κB mRNAs発現が有意に増加することを認めた(4)。また、C3H/HeNマウスでは、トルエン曝露後の海馬におけるIba1免疫染色によって、50 ppmトルエン濃度でのマイクログリアの活性化がみられた。
 以上の結果から、比較的低濃度VOC曝露は、単独で、あるいは抗原感作による過敏状態の誘導と合わせて、通常の生体内での海馬におけるNGFおよびその受容体、TLR4依存の情報伝達経路を介した炎症反応をかく乱する可能性が示唆された。

4.発達期トルエン曝露による免疫毒性

 胎児期や小児期の免疫系は発達段階にあり、成人に比べて化学物質の影響をうけやすいことが報告されている。また、発達段階における化学物質の曝露がその後のTh1/Th2バランスに関与する可能性も指摘されている。
 発達期曝露の免疫系への影響を評価するために、C3H/HeNマウスの発達段階の異なる時期に5日間の曝露を行って、その後の影響を出生21日後に検討した。発達段階を胎仔期(妊娠14-18日)、新生仔期(出生2-6日)、乳仔期(出生8-12日)の群として分類し、低濃度トルエン5、50 ppmの1日6時間、5日間曝露を行った。
 その結果、血漿中の抗体価において、総IgG1は5 ppm曝露すべての群で低下がみられた(5)。総IgG2aでは、5 ppm新生仔期曝露群で有意な低下を、5 ppm乳仔期曝露群で増加を認めた。脾臓でのリンパ球サブタイプへの影響においては、50 ppmトルエン曝露によりCD4陽性細胞が新生仔期と乳仔期で有意な減少を、CD8陽性細胞では乳仔期において減少を示した。脾臓におけるサイトカイン、転写因子のmRNA発現では、新生仔期と乳仔期のIL-12、T-bet、Foxp3で有意な抑制がみられた。なお、乳仔期曝露によるCD4陽性細胞の減少、T-bet mRNAの発現抑制は、出生42日後にも観察された。
 発達期曝露による海馬での神経―免疫ネットワークへの影響では、5 ppm乳仔期曝露群でTLR4mRNAの発現の増強を認めた(5)。また、乳仔期のトルエン曝露では、5、50 ppmともにNGFmRNA,、NF-κBmRNAで発現増強を示した。新生児期においては、50 ppmトルエン曝露群でNGFmRNA,、NF-κBmRNAの発現が有意に増強した。
 以上、低濃度トルエン曝露による免疫及び神経免疫パラメーターの変化では、発達段階の違い、トルエン濃度、測定パラメーターにより異なる変動を示した。発達段階においては低濃度トルエン曝露に対する反応性が非常に高いことが示唆された。

5.まとめ

 比較的濃度指針値に近い値で、しかも実験動物を用いて曝露できる限界値に迫る条件で、免疫領域での変動の有無に迫る研究ができたと考えている。その結果、ホルムアルデヒドとトルエン曝露においては、顕著な免疫反応のかく乱はみられなかったが、低濃度曝露におけるいくつかの免疫パラメーターでの変化は認めた。特に、これまでの報告がほとんどない海馬における炎症や神経栄養因子のレベルでの変動がみられたこと、抗原感作が反応性を高めたことは、低濃度VOCによる情報伝達の経路及び情報の蓄積にかかわる神経―免疫ネットワークをかく乱する作用を疑わせる結果が得られた。

6.おわりに

 本学会賞をいただくにあたり選考の労をとってくださいました諸先生方、本研究の遂行にあたり全面的にご協力いただきました研究仲間に厚く御礼申し上げます。

7.参考文献

(1) Fujimaki,H et al., Toxicology (2004)197,1-13.
(2) Fujimaki,H.et al., Toxicology (2011)286,28-35.
(3) Win-Shwe,T.T. et al., NeuroToxicology (2010)31,85-93.
(4) Win-Shwe,T.T. et al., Neurotoxicology and Teratology (2011)33,598-602.
(5) Win-Shwe,T.T. et al.,Toxicology Letters(2012) 208,133-141.
(6) Win-Shwe,T.T. et al.,J.Appl.Toxicol.(2012)32,126-134.